今でこそ獺祭は全国的にも世界的にも有名になりましたが、実は、長い間、苦労をしていたそうです。
正直、僕自身も大変だった時期があるとは存じ上げませんでした
ただ、調べてみると、非常に山口県というローカルな場所で、元々目立つ特徴のない酒蔵の場所から、今のように目立った成功した要因を知っておくことで、個人事業主や経営者の方には非常に役に立つはずですので、興味のある方はこのまま読み進めていってください。
1. 獺祭の誕生と初期の困難
獺祭(だっさい)は現在、世界中で高く評価される日本酒ブランドとなっていますが、その成功の背景には数々の挑戦と変革がありました。
1984年、旭酒造の3代目社長として就任した桜井現会長は、当時、山口県岩国市という小さな地方都市に位置していました。
この時期、地域のマーケットに対応するだけの、特に目立つ特徴もない安酒を製造・販売されていたそうです。
地域内での酒蔵としての売り上げ順位は4番目であり、10年間で売り上げが1/3にまで減少していました。
・技術もない
・売り上げもない
・酒蔵は過疎に悩む山間部に位置する
まさに『三重苦の状態』にありました。
このような困難な状況下で、従来の地元対応の安い酒を造っていては先が見えないと感じ、方向転換を決意されました。
純米大吟醸に特化した酒蔵へ方向転換
それは、『純米大吟醸』の製造を開始したことでした。
これは当時の日本酒業界では新しい試みであり、安定的な生産技術も確立されていない市場でした。
しかし、私はこの新しい市場に挑戦し、東京市場への進出を決定しました。
この決断は、単なる市場の拡大にとどまらず、獺祭のブランドを再構築するための大きな一歩となりました。
日本経済が発展し、個人の平均所得が上昇する中で、酒の価格は機械化や合理化によって低下しました。
大量に飲む快感から、少量で高品質な酒を楽しむ時代へとシフトしていったのです。
この時代の流れを受けて、純米大吟醸に特化した酒蔵へと変革を遂げました。
これにより、獺祭は若者や女性を中心に受け入れられるようになり、評価を高めていきました。
獺祭は日本酒が飲めない・苦手という人でも『飲みやすい』ってことで有名だよね。私もよく飲むわ。
獺祭、美味しいですよね笑
インターネットで検索した上で、本記事は記載していますが、個人的に成功した大きな要因は
①山口県という小さなマーケットではなく、東京のマーケットを視野に入れたこと
②若者や女性をターゲットにしたこと
③業界になかったマーケットを生み出したこと
この3つが『かなり大きな要因』だと思いました。
まず『①東京のマーケットを視野に入れた』のは、地方から上京してきている人が多いのが東京ですから「山口県のお酒なんだよ」という伝えることで、山口県の人達や地方在住者の人達が無条件で選びやすくなる要因だと思いました。
山口県に限ったことではないですが、地方には確かに人口は多くありません。
しかし、東京には1000万人以上の人口がいますから、市場が大きくなったことで有利になったのかもしれませんね。
そして『②若者や女性をターゲットにした』のも成功要因だったのかもしれません。
特におじさん達はお酒が大好きで飲む習慣があるかもしれませんが、『お酒に強くない人』や『あまりお酒が好きではない』の方がまだまだ割合として多い印象があります。
『日本酒=飲みにくい』というイメージを、獺祭のように少し甘い感じがするものに味変をすることで、若い人や女性の人が飲みやすくしたのは、非常に素晴らしい施策だと思います。
そして最後『③業界になかったマーケットを生み出したこと』も大きな要因でしょう。
お酒には様々な種類があります。
このうち当時『純米大吟醸』に特化した酒蔵が無かったそうですが、無かった部分をより押し出して『純米大吟醸と言えば、旭酒造』というポジションを経て、知名度をどんどん上げていかれたということです。
成功している企業の要因は必ず『○○と言えば××』という構図を作っています。
たとえば
・サラリーマン向けの牛丼屋と言えば『吉野家』
・家族向けの牛丼屋と言えば『すき家』
・カレー屋さんと言えば『CoCo壱番屋』
・早くて安くて美味しいうどん屋と言えば『丸亀製麺』など
必ず上手くいっている企業には特徴があります。
非常にかんたんなようで難しいですが、この『○○と言えば××』を見つけて、ユーザーに浸透させていくことは非常に大切なことだと思います。
成功の裏には逆境が役に立ったらしい
実はこの変革には、過去の逆境が大いに役立ったそうです。
従来の伝統的な酒造習慣では、冬場しか酒を造らず、杜氏の年間継続雇用が難しいという問題がありました。
この問題を解決するために、ビールのマイクロブルワリー(小規模のビール醸造所)を設立しましたが、2億円近い借金を抱える結果となり、その後杜氏が全員移籍する事態となりました。
このピンチをチャンスと捉え、社員4人と共に酒造りを始めたそうです。
ただ、少人数だったのが良かったのか「美味しい純米大吟醸を造りたい」という意志が社内全体に行き渡り、数限りないトライアル・アンド・エラーを繰り返すことが可能になりました。
さらに、秋田醸造試験場の田口隆信場長が出した研究レポートを参考にし、データ化された生産プロセスを確立しました。
また、地元山口県には良い酒造好適米がなかったため、自社で取引する農家を開拓し、最も高価な山田錦(やまだにしき)に的を絞りました。
そして、日本全体の山田錦の生産量の34%を占めるほどの大きな購入ルートを確立することができました。
4. 国際的な評価と成功
2002年からアメリカに輸出を開始し、ニューヨークやパリ、ミラノの名の知れたレストランや酒販店に直接営業をかけました。
最初は相手にされないことも多かったですが、次第に「美味しい」「他の日本酒とは違う」と評価されるようになったそうです。
2015年には、故・安倍晋三首相(当時)がホワイトハウスで開催された公式晩餐会に出席された際、乾杯に獺祭が使用。
アメリカ政府から事前に秘密にするように要請されていたこの出来事は、私たちにとって非常に名誉なものであり、史上初めてホワイトハウスの公式晩餐会で日本酒が採用されたことを記録しました。
2018年には“フレンチの神様”と呼ばれるフランス料理界の巨匠ジョエル・ロブション氏とコラボして、バーやレストランなどを備えた「獺祭・ジョエル・ロブション」を開催。
ロブションさんからは、「獺祭は私がこれまで出合った最良の日本酒だ」と語っていただきました。
世界最高レベルの料理学校といわれるカリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ(CIA)とお互いの食や酒に対する想いに共鳴して提携し、CIAがあるニューヨーク郊外のハイドパークに酒蔵を建築し現地で酒造りをすると決めたそうです。
海外への日本酒の輸出について
財務省によると、日本酒全体の海外輸出は13年連続で過去最高を更新し、2022年は約475億円。
アメリカへの輸出量は、中国に次いで2位で約109億円となっているそうだ。
旭酒造の2022年の売上高は過去最高の165億円となったが、そのうち約70億円(43%)が海外への輸出です。
元々3億円前後で停滞していた会社が年商165円以上の業績までV字回復したのは、驚異的ですよね。
しかも、2023年時点では、アメリカの酒のマーケットで、日本酒のシェアはたったの『0.2%』だそうなので、まだまだアメリカや中国など海外のマーケットの可能性は無限大ですね。
まとめ
これを読まれている方は、おそらく、日々、セミナーや研修会に参加し、仕事に向き合っている、だけど、思ったような業績にならずに、日々悶々としているというような方もいらっしゃると思います。
そんな状況の方は、旭酒造のV字回復の秘訣を読み込まれて実践してみてはいかがでしょうか?
少しでも参考になれば幸いです。